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​合同句集「朋」・・・東日本大震災被災地への思いを込めて発行

かもめ支部 西川 和明

♢はじめに

​ 東日本大震災が発生した2時46分、私は福島市にある福島大学の研究室にいました。揺れが始まると四方の本棚の本が崩れ落ち始め、思わず机のパソコンを押さえましたが間に合わず、パソコンは床に転がり落ちました。収まりそうもない長い揺れにただならない恐怖を感じ、5階から階段を駆け下りて屋外の駐車場へと避難しました。私自身は怪我もせずに済み、また、学生の安否確認には何日もかかりましたが幸いなことに全学生無事でした。しかし、南相馬市の知人が家族3人と共に津波に流されて行方不明になっているという知らせを後に受けました。3か月の間に相次いで4人の遺体が発見されました。多くの傷跡を残し、そして特に原発事故のあった福島では、長年住み慣れた土地への帰還を諦めざるを得ない人たちが多数存在します。

 2017年3月、私は福島大学を定年退職して自宅のある横浜市に戻りました。時間のゆとりのできた生活の中で地元の「あかざ俳句会」に入会しました。そして今年、あかざ俳句会が東日本大震災の翌年に、被災地に思いを寄せる俳句を多く収めた句集を発行していたことを知りました。

♢句集に込めた復興への思い

​ 春時雨が横浜の街を濡らす今年の3月12日、「あかざ俳句会」の飯村寿美子名誉主宰が息を引き取りました。折しも東日本大震災から14年目の翌日でした。

 名誉主宰は震災発生当時、横浜の自宅でテレビに映し出される被害の様子に愕然としていました。福島県と宮城県にいる3名の会員の安否も気がかりでしたが後に無事がわかりました。そして、翌2012年5月に発行するあかざ俳句会の20周年記念合同句集は、被災地との絆を込めて題を「朋(とも)」とすると共に、知己を辿って宮古市で本社と工場を津波で流され仮設工場で操業中の、花坂印刷工業株式会社に印刷を発注しました。

 句集には被災地に心を寄せる句が多数載っています。次の句は、あまりにも犠牲者の多かったことへの横浜からの鎮魂の句です。

   

 次は、宮城県登米市に在住していた西條邦泰通信会員が、地元で詠んだ句です。

   

   

   

   

        

 

 次は、被災地にボランティアで入った会員の句です。作者は、震災3か月後にある財団の募集に応じて福島県と宮城県にボランティアに入っています。子供たちの遊び相手をしてあげる中、被災した時の様子を語る子供がいたそうです。本当の祖母と孫のように仲良くなって別れるときはつらかったと、後に語っています。

   

 

 

以下、東日本大震災を詠んだ句を掲載いたします。​

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一椀を分け合ひ地震の春夕餉                                       

はらからの不明一家の黙深し                        

生還のはらから抱き一家泣く                        

冴え返る海のいずこや友不明                        

大津波弥生十一町消える                  西條邦泰

とつとつと被災を語る木下闇    井上ミヤコ 

被災地に何も出来ない吾の余寒       石井佳江

大震災春を詠むペン重くして     石井富子

復興に叡智で模索春の月          石井富子

ニュース見て震災復興春兆す     脇坂俊子

七夕や復興願ひ短冊へ           脇坂俊子

震災や水の尊き弥生尽               石川雅雄

昭和の日笑顔に戻る震災地      脇坂俊子

春風に乗らずもがなの放射能     脇坂俊子

地震の村桜気高く咲きにけり    三浦たかし

復興という名の道やひこばゆる           髙澤幸子

生と死を別かつ大地震冴返る       大森靜子 

被災地へ春の虹越ゆボランティア      森川きくみ

セシウムに脅えし日々の原爆忌           横山光子

2025年9月寄稿

​合同句集「朋」表紙

​印刷は岩手県宮古市の花坂印刷工業株式会社による

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